クリスチャン2世がぐるぐると考える

クリスチャン2世の視点から結婚・信仰継承・両親との関係などについて書いています

必ずしも「一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない3

大学生の頃に通っていた教会の牧師先生は、一度、いわゆる企業戦士として民間の会社で数年間働いてから、牧師になった人でした。

その先生がよく言っていたのが「一週間頑張って働いて、すごく疲れている中で教会に来ているんだから、奉仕までそんなに頑張らなくていいんだよ。」ということでした。

 

日本人の、特にクリスチャンになるような人は、ほとんどが「真面目」な人だと思います。真面目に超をつけてもいいかもしれません。生き方に悩んだり、自分はこのままでいいのかと迷ったりして教会に来る様な人で、不真面目なひとはあんまりいないと思う。

 

だから、普段の仕事や生活も、真面目にやっている人が多いです。さらに、教会の奉仕となれば、まず適当にはできません。全力で、神様のために、と思って奉仕する。「これ、お願いできますか?」と言われたら断れない。

そして、最初は「神様のために!」と思って情熱を持ってやっていたけれど、次第に「何でこんなに奉仕がたくさんあるの?」と辛くなり、最終的には「どうして自分は心から神様のためを思って奉仕できないんだろう」と自己嫌悪に陥る。

その結果「自分はやっぱりダメな人間なんだ。立派なクリスチャンにはなれないんだ。」と思ってしまう。

もしくは「どうして自分ばかりこんなに大変な目にあわなければならないのだ」「あの人は全然奉仕してないじゃん」と他の教会員を裁いたりする。

 

↑このサイクルって結構あると思うのですよね…

昔の私は、しょっちゅうこの思考回路にはまっていました。(今も時々あるか…)

でも、奉仕が辛くなりそうになると、冒頭の牧師先生の言葉をいつも思い出します。

そして、「奉仕=無理に頑張らなくていいもの」と頭をシフトさせるのです。

 

神様は、疲れている私に、『もっとちゃんと奉仕しろ!』なんて絶対に言わない。『奉仕してくれるのは有り難いけれど、今はゆっくり休んだら』って言ってくださるはずだと思います。

 

【疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。マタイによる福音書11章28節】

 

 

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