クリスチャン2世がぐるぐると考える

クリスチャン2世の視点から結婚・信仰継承・両親との関係などについて書いています

奉仕について

必ずしも「一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない3

大学生の頃に通っていた教会の牧師先生は、一度、いわゆる企業戦士として民間の会社で数年間働いてから、牧師になった人でした。 その先生がよく言っていたのが「一週間頑張って働いて、すごく疲れている中で教会に来ているんだから、奉仕までそんなに頑張ら…

必ずしも「一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない2

新約聖書のテモテへの手紙Ⅰという福音書を読んでいると、 【自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。テモテへの手紙Ⅰ 3章5節】 【奉仕者は一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人でなければなりませ…

必ずしも「一所懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない1

私が奉仕について思うのは、必ずしも「教会のために一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない場合があるのではないか、ということです。 一見、この方程式は正しいように思えてしまいますが(教会でもこの考え方はまかり通っていると思いますが)…

奉仕の犠牲になるクリスチャンホームの子ども5

ある牧師家庭のクリスチャン2世の友達はずっと、「クリスマスが嫌いだった」そうです。クリスマスはいつも両親が忙しそうにしていて、構ってもらえなかった。自分も教会の手伝いをしなければならず、クリスマスを楽しんだ記憶がない。 だから今でもクリスマ…

奉仕の犠牲になるクリスチャンホームの子ども4

父も母もクリスチャン1世でしたから、 「教会のために一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」だったのだろうと思います。 大人になり、客観的に考えられるようになって、「きっと父は一生懸命奉仕する自分の姿を子どもに見せたかった」のだろう、と思…

奉仕の犠牲になるクリスチャンホームの子ども3

私にとっては、「父が教会の奉仕にのめり込み、母はいつもそのことに苛立っている」家庭の状態が普通だったので、両親の仲が悪くて嫌だな,,,とは思いつつ、休みの日もいつも父が教会に行っていることなどについては、あまり疑問を持たずに大きくなりました。…

奉仕の犠牲になるクリスチャンホームの子ども2

母は、父のことをいつも悪く言っており、私や妹達を自分の味方につけようとしていました。そしてしょっちゅう、父と言い争いをしていました。 教会からの帰り道はいつも母一人が私と妹たちを連れて、2時間近い道のりを帰っていました。(電車を乗り継いで、…

奉仕の犠牲になるクリスチャンホームの子ども1

これからしばらく、奉仕について思うことを書きたいなと思います。 私の父は、私が物心ついたときから、教会役員をしていました。しかも、会計担当。 私の両親の行っている教会は、会員数が200人近いので、礼拝献金だけでもそれなりの額になります。毎週礼拝…