イースターに思うこと~キリスト教に対する世の中と自分のイメージのギャップ~2
クリスマスもそうですが、日本では「西洋のお祭りはみんなで美味しいものを食べて楽しくパーティしよう!!」みたいな雰囲気があって、自分の中にあるイメージとのギャップに、まるでついていけない気持ちになります。
私は、クリスマスの夜やイースターの朝は、一人で静かに過ごしたいな、と思ったりします。
教会で、クリスチャン2世の中学生の子と話していたら、「イオンにハッピーイースターっていう大きな垂れ幕があって、なんかイラッとした」と言っていました。
どういうこと?と訊くと「みんな本当のことを知らないのに浮かれてて、なんか嫌だ」ということらしい。ディズニーでイースターのイベントをするのも、イースターが何の日か答えられる人だけ入場できるようにすればいいのに、と怒っていました。(そんなことしたらディズニーは儲からなくなっちゃうよ,,,)
中学生でも、そういう風に、違和感を感じるんだなあ、と、思ったのです。
でも、「イースターは本当はイエスさまの復活をお祝いする日なんだよ。だから、世の中、商業主義に流されてるだけなの!」と、ノンクリスチャンの人に言えるか、というと、実際はとても難しいです。
イエスさまは私の罪の為に、私の代わりとなって十字架にかかってくださった。しかし、死で終わるのではなく、その死に打ち勝って、よみがえられた。ということを私は信じています。
そして、イエスさまの復活があるからこそ、私たちは希望を持って生きていくことができる。それがキリスト教、というものなのだと思います。それは昔の西洋の宗教であるというようなことを超えて、私自身の為の宗教、なのです。
しかし、実際に日本の世の中にあるキリスト教観は、私のキリスト教の信仰とはまるでかけ離れています。
サンタクロースとか、バレンタインデーとか、チャペル結婚式とか、それはただキリスト教っぽいもの、キリスト教風のものであって、本当はキリスト教ではないのに、日本の世の中ではそれらがキリスト教のイメージになっている。
そのことを考えるとき、私は、一体どうしたらいいのだろう、と途方に暮れるような気持ちになるのです。その溝をどうやったら埋めることができるのか?それとも、日本の文化として受け止めるしかないのか?答えが出ないままモヤモヤとしています。
【しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。 コリント人への手紙15章20節】