クリスチャン2世がぐるぐると考える

クリスチャン2世の視点から結婚・信仰継承・両親との関係などについて書いています

信仰は刷り込み?その2

「神様はいる」「イエス様は救い主」ということは、聖書に書いてある。でも、それを心から信じている、というよりは、ずっとそのように教えられてきた(刷り込まれてきた)ので、そう思い込んでいるのではないか。

そのことがずっと自分の心に引っかかっていたのです。でも、そんなこと誰にも相談できません。

(本当は、こういう疑問や悩みを相談できる人が、教会にいればいいと思うのです。聖書やキリスト教に対する疑問や質問を言える雰囲気がある教会って、良い教会だと思うのですけど、あんまりそういう教会ってなさそうですよね…ことことはまたそのうち書きたいと思います。)

 

もやもやをずっと抱えたまま、私が出した結論は「刷り込まれたものはもはや消すことはできない」ということでした。小さいころから散々、神様の話を聞かされてきたのに、今更「神様なんていない」と思って生活することは、たぶん一生できないだろう。それなら、とりあえず信仰告白式を受けておこう。(周りの圧力もあるし…)

 

家でも教会でも、一応、「いい子」をやっていた私は、そんなわけで高校3年になる前の春、表面的に信仰告白式(いわゆる受洗式)を受け、表面的には「クリスチャン」になったのでした。

 

今考えると、何とも消極的な理由だったなあ、と思います。でも、この時信仰告白式を表面的にだけでも受けたお陰で、私のぐらぐらな信仰生活はどうにか続いていくのですが…

 

まだ続きます↓

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