クリスチャン2世がぐるぐると考える

クリスチャン2世の視点から結婚・信仰継承・両親との関係などについて書いています

教会に行けなくなったときのこと 2

今思い出すと、教会に行けなくなった時、有難かったのは、誰も私に教会に無理に来るように言わなかった、ということです。

また、今までだったら二つも三つもやっていた奉仕も、何もしなくていいよ、と言ってもらえたことです。

礼拝の途中で退席して家に帰っても、そのことを多少心配されることはあっても、深く追求されることがなかった。いい意味でほおっておいてもらえた。

それが、私にとってはすごくよかった、と思うのです。

 

教会をしばらくお休みしたら、変に思われるんじゃないか。

奉仕していない自分は、教会にとって価値がないんじゃないか。

 

そんなことを日曜日が近づくたびに考えていました。

でも、実際は、私が教会に行かなくても、(心配して時々連絡をくれる方はいましたが)それをダメだとか悪いとか言う人は誰もいなかった。

全然奉仕しなくても、そのことを責めるような人は誰もいなかった。

 

そして、そのことに気が付いたとき、 今までは、教会に毎週ちゃんと行って、奉仕しているから、自分は教会に受け入れられているし、教会のみなさんに愛されている。と思っていたんだな。

逆に言えば、ちゃんと教会に行って、いっぱい奉仕をしなければ、自分は愛されないし、存在価値がない。と無意識に思っていた、ということにはっとしたのです。

 

そうして、生まれて初めて、私がいかに周りの人の目を気にして、教会に通っていたか。奉仕をしていたか。に気づかされたのでした。

 

 

 つづきます

 

 

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