クリスチャン2世がぐるぐると考える

クリスチャン2世の視点から結婚・信仰継承・両親との関係などについて書いています

教会に行けなくなったときのこと 1

もう、10年近く前のことになりますが、私は大学卒業後、ブラック会社に務め、その後職場を変えたものの大きく体調を崩し、失業した、ということがありました。

恐らく、それらの出来事が引き金となったのでしょうが、軽い鬱状態のような感じになり、人と会うのが怖くなったり、無気力で何もする気が起きず、ひたすら寝ているか泣いているという毎日を過ごしていました。

 

一人暮らしでお金もなかったので、辛うじてアルバイトはしていたものの、仕事中に何度もトイレに籠って泣く、というような状態が続き、自分でもこのままではだめだと思いつつ、どうしたらいいのか分からず、いつここから抜け出すことができるのだろうか…もう自分は立ち直ることができないのではないか、と思っていました。

 

教会にも最初は行っていたのですが、だんだん、人と会って笑顔で挨拶をしたりすることがしんどくなり、礼拝を休むようになりました。

今まで生きてきて、2か月も3か月も教会に行かない、ということは自分の人生には一度もなかったことでしたので、そういう、教会に行けない状態の自分を受け入れることが、できませんでした。無理をして礼拝に出てみたりもしたのですが、礼拝中にどうしてもその場にいることができず、途中で家に帰る、ということも何回もありました。

 

もう、これ以上無理して教会へ行くのは止めよう、自然に心から行きたいと思えるまでお休みしよう、と決めてからは、少し気持ちが楽になったように思います。

 

半年くらい、そんな状態だったでしょうか。いつ頃どうやってまた教会へ行くことが出来るようになったのか、あまり詳しい記憶がないのですが…

行けるようになった最初の頃は、礼拝が始まってしばらくしてから、2階の席(大きな教会だったので、2階にも席がありました)にこっそり座ってメッセージを聞き、礼拝が終わるギリギリ前に教会を出る(教会の人たちに会わないように)ということをしていました。

それから、少しずつ、友達と話したり、気にかけてくださる方とお話ししたりすることができるようになり、それでもしんどいな、と感じる日は無理をしないで休む、ということを何度も繰り返しながら、また教会に通えるようになったように思います。

 

それでも、普通に奉仕ができるように回復するまでは、丸2年以上かかったのかな…

礼拝に出てメッセージを聞きたい、という思いと、今週こそ行かなくちゃ、という義務感のようなものと、いつまでも このままの自分ではダメだ、という強迫観念のようなものが混ざりあって、自分でも訳が分からないような感じでした。

 

 

続きます

 

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