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クリスチャン2世がぐるぐると考える

クリスチャン2世の視点から結婚・信仰継承・両親との関係などについて書いています

迷える子羊、ではなくて、迷える蟻

奉仕についてしばらく書いてきたんですが、ちょっと休憩です。

 

私は、わりと田舎の、かなり古い家に住んでいます。

四季の移り変わりが本当に美しく、特に春は庭の木々が芽吹いて、見るたびに心が洗われる思いがします。

しかし、暖かくなると、大きな問題が発生するのです。

 

それは、蟻が家の隙間から入ってくる、ということです。(もちろん、蟻じゃない虫も入ってきます…)

 

もう、だいぶ慣れたのですが、結婚して来たころは大変でした。

トイレの、木材と木材の合わせた部分の隙間、だとか、お風呂場の扉と壁の隙間、など、よくこんなところを入れるなあ、という小さな隙間から、蟻がどんどんうちに入ってくるのです…

 

小さな隙間の出入り口を見つけては、テープで止めたり、樹脂で固めるような素材を注入したりしているのですが、どういうわけか毎年、必ず別の場所から入ってきます。

 

たぶん、蟻たちも、目的があってうちに入ってくる、というよりは「歩いていたらいつのまにかお風呂場だった」みたいな感じで、慌てふためきながら、うろうろしています。

そういう蟻を見ると、私はこれぞ「迷える蟻たち」だな…と思うのです。

 

聖書には「迷える子羊」という表現が出てきますが、正直、あまり羊を見たことがない私は、羊が迷っている、というのがピンときません。

日本人なら案外、そういう方は多いのではないでしょうか?

 

でも、これが蟻だと、なんとなく分かる気がするのです。

「餌を求めて歩いていたら、知らないうちに変なところに来てしまった、出口はどこ??ウロウロ…」みたいな。

 

もちろん、蟻はちゃんと巣に戻れますし、戻るためのホルモン?とか何かそういうものも出している、と聞いたことがあります。

でも、私には蟻が迷って困っているように見えるのです。

 

そして、ふと、この蟻が私で、蟻を見ている自分が神様、なんじゃないかな、と思ったのです。

蟻は、今いる場所がどういうところなのか、分かっていません。

でも、神様は、そこがお風呂場だと知っていて、そこに餌がないことも知っています。その気になれば、指でつぶしたり、掃除機で吸い込んでしまうこともできます。

自分が何をしているのかわかっていない蟻たちを、あたたかい目で観察しつつ、とりあえず蟻のしたいようにさせてくれている、のが神様なんだろうな、と思うのです。

 

そんな事を考えながら、蟻さんごめんと思いつつ、掃除機で吸い込むのでした,,,

 

 

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