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クリスチャン2世がぐるぐると考える

クリスチャン2世の視点から結婚・信仰継承・両親との関係などについて書いています

必ずしも「一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない2

 

新約聖書のテモテへの手紙Ⅰという福音書を読んでいると、

 

【自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。テモテへの手紙Ⅰ 3章5節】

奉仕者は一人の妻の夫で、子供たちと自分の家庭をよく治める人でなければなりません。テモテへの手紙Ⅰ 3章12節】

【自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。テモテへの手紙Ⅰ 5章8節】

 

↑こんな言葉が書かれているのですが、ここを読むと、たぶん、昔も今と同じように、教会と家庭の問題があったんじゃないかなーと思います。

想像ですが、昔の初代教会の中でも、教会の奉仕に一生懸命になりすぎて、家族をないがしろにしてしまう人がいたんじゃないのかなあ。

 

テモテの手紙Ⅰの中には、新共同訳では「監督の資格」というタイトルで、たぶん今でいう牧師とか役員さん向けのアドバイス的なことが書いてある箇所があります。

 「監督になる立場の人は、節制して、分別があって、礼儀正しく、親切に、お酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着しないでください…」

みたいなことが書いてあるのです。

 

当然と言えば当然の内容なのですが、でも、案外、そういう教会の大切な役割を担っている人が、家庭では教会と正反対の姿で過ごしている、ということがなくもないのでは…

残念なことですが、親が教会と家での姿を使い分けている。教会では一生懸命奉仕する、立派ないい人をやっているけれども、家では何もしない。っていうことが、クリスチャンホームではちらほら聞く話です。

私自身、そうならないように、自戒を込めて、この聖書の言葉を心に留めたい、と思います。

 

つづきます

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