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クリスチャン2世がぐるぐると考える

クリスチャン2世の視点から結婚・信仰継承・両親との関係などについて書いています

必ずしも「一所懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない1

私が奉仕について思うのは、必ずしも「教会のために一生懸命奉仕すること=神様に喜ばれること」ではない場合があるのではないか、ということです。

 

一見、この方程式は正しいように思えてしまいますが(教会でもこの考え方はまかり通っていると思いますが)

「教会のために一生懸命奉仕すること=何かを犠牲にしていること」でもある、ということです。

 

クリスチャンには暗黙のうちに「犠牲を払って奉仕をすることは美徳である」という雰囲気があると思います。

でも、その犠牲になる人や物ごとは、ほおっておかれていいのか?

それが本当にイエス様の言われる愛のある行動なのか?

 

「一生懸命奉仕する=自己満足・自己実現

「一生懸命奉仕する=周りの目を意識して自分を守っている」

「一生懸命奉仕する=神様のためという思い込み」

という場合が、少なからずあると思うのです。

 

一見、教会のため、神様のため、であるように見えてしまうのですが、本当は自分のためにやっている、こともあるのではないでしょうか,,,

 

 

midorinomi.hatenablog.com

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