イースターに思うこと~キリスト教に対する世の中と自分のイメージのギャップ~1
きゃりーぱみゅぱみゅがイースターの曲を出したそうですね。
日本の世の中では、イースターは第2のハロウィン的な、西洋のお祭り、という位置づけなのかな、という雰囲気がします。
ここ数年で、お菓子屋さんでもたまごやウサギの形のお菓子が売られるようになり、ディズニーランドでもイースターのイベントをしていたりと、なんか、商業というのはづくづくすごいなーと驚きつつ、形はどうであれイースターが復活祭というキリスト教のお祭り、ということが広まればいいなあ、と思います。(※ハロウィンはキリスト教のお祭りではありません。)
私がイースターで思い出すのは「イースターの朝早く」という讃美歌です。
イースターの朝早く
マリヤがお墓で泣いていたとき
十字架で死んだ あの イエスさまが
静かに呼び掛けた
これは確か、子どもの時に日曜学校で、イースターになると必ず歌っていた讃美歌です。しっとりした、静かなメロディで、これを歌うといつも、情景が浮かんできます。
朝、まだ薄暗い中、誰もいないお墓の前で、マリヤが一人静かに泣いている。
時々鳥の声がするけれど、あとはマリヤのすすり泣く声が聞こえるだけ。
マリヤの足元には小さな雑草の花が咲いている。春の風が吹いている。
「マリヤ」という、懐かしい声が聞こえて、マリヤはハッと顔を上げる。
次第に空が薄っすらと明るくなっていく。
私のイースターのイメージを訊かれたら、この賛美、と答えると思います。
「復活」というのは、どういうことなのか、私にはまだ説明ができません。どういう方法で蘇ったのか、とか科学的に考えたら分からないことばかりです。
でも、最愛の人を無くして悲しみのどん底にいたマリヤの目の前に、イエスさまが突然現れた時の驚きと喜びを想像したとき、それは「復活」の気持ちだったのだろうなと思うのです。弟子たちも、きっとそうです。その「復活」の希望と喜びがあったからこそ、イエスさまがいなくなった後で、キリスト教が世界中に、こんな日本にまで広まったのだ、と思うのです。
続きます