信仰は刷り込み?その1
私は幼児洗礼を受けているので、(教派的には)神様やイエス様の存在がわかる以前にクリスチャンになっていた、ようです。ただし、自分の言葉で信仰を言い表すことができるようになると「信仰告白式」というものがあり、これを受けて初めて、正式なクリスチャンである、と認められるのでした。
信仰告白の前には、牧師先生とのキリスト教についての簡単な学びが数回あります。その後、信仰告白式を受けると、聖餐式(パンと葡萄酒を頂く)に参加できたり、週報ボックス(教会のお便りなどが入れられる場所)をもらえたりします。
大人の仲間入りをしたな、と思ったのを覚えています。
私は高校3年生になる直前のイースタ-に信仰告白式を受けました。なぜその時期だったかというと、これから受験生になり、忙しくて教会にあまり行けなくなりそうだったからです。
そして、正直に言えば、周りの見えない圧力に耐えられなかったから、という理由もあります。
中学3年生頃から、周りの同い年くらいの教会の子たちが、次第に信仰告白式をするようになっていました。「私もいつかしなくちゃならないんだろーなー」とぼんやりと考えていましたが、私の中で信仰告白に踏み切れないモヤモヤがありました。
それは、「今、自分が信じているキリスト教は、結局、親が刷り込んだものなのではないか」ということでした。
私は一応教会へ行っているし、神様の存在を何となく信じてはいる。でも、それは自分自身で選び取ったものではなく、親が与えたものだ、と感じていたのです。
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